俺らの音楽は黒い背景に言葉を刻み込む様なモンだ。 

それは日本の常識を完全に逸脱してるしシャレですまない。


ソウルや運命、民族性との格闘の中でアルコールに溺れたり身体を壊して早死にするモノも多い。

あらゆる揉め事、悲しみの上に存在しながら意思は受け継がれ語り継がれる。 


この俺が嘘で固められた世界に決別を決意してから20年強だ。

普通では考えられぬ様なベールを潜り抜けてきた。しかしそこでは尚「お前はまだ甘い」というモノもいる。

ほとんど伝説的なツワモノ達が安いTシャツ、ジーンズにママチャリというイデタチで今日も社会

の底辺を、人間の心の底を掻き回している。そこでヤツらが創造する音楽はあっちの金をこっち

に持って来てテレビジョンの中の世界を一時的に具現化するお遊びとはまるっきり訳が違うのだ。

そこには代理行為は存在しない。ただ、恐らくは、ギターという楽器との格闘があるのだ。 


ある人に言われた。そのギターは左右対称じゃないと。その人はエレアコのボディのくぼみの事を言ったのだが‥

しかしギターは元々左右対称ではなく、極端に言えば左右対称を崩す為に存在する。存在の初めからそうなのだ。

何故か?現在の言葉で言うなら、均衡のバランスを崩し新しい可能性が入り込む隙を作るためだ。

ギターを弾くという行為はそれ自体が既にレボリューションなのだ。


ギターを弾けば君は歌を失うだろう。それが君の運命だ。歌を取り戻す事が出来るか?

戦いの、人生の意味はそこに存在する。

それに気付く事が出来れば、君がギターに巡り会ってしまったディスティネーションも報われるだろう。